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大阪高等裁判所 昭和60年(く)74号 決定 1985年6月21日

主文

原各決定をいずれも取消す。

検察官が昭和六〇年六月五日にした本件各保釈取消請求をいずれも却下する。

理由

本件各抗告の趣意は、弁護人万代彰郎作成の各抗告申立書記載のとおりであつて、いずれも、要するに、原裁判所は、被告人が昭和六〇年五月二二日午後一時四〇分と指定された頭書被告事件の公判期日に、正当な理由がないのに出頭せず、指定条件に違反したとして、各保釈許可決定を取消し、保釈保証金の各一部を没取したが、被告人が右公判期日に出頭しなかつたのは、さきに、別件で逮捕状が出ていることを知り、とりあえず、右当日午後雰時過ぎころ、三重県上野警察署に出頭したうえ、同署警察官に同日午後一時四〇分の公判期日に出頭する必要がある旨を告げたところ、同署警察官は奈良地方検察庁の右公判担当検察官と連絡をとり、公判期日に出頭させることは時間的に無理であるから出頭させないことで同検察官の了解が得られたとのことで、被告人は引続き同署に留め置かれた後、逮捕されたことによるのであつて、被告人としては公判期日に出頭することを要望し、かつ、警察官の協力さえあれば、出頭可能であつたのに、警察官及び検察官らが裁判所の意見を徴することもなく、時間的に困難と一方的に判断して被告人を裁判所に出頭させなかつたのであるから、右不出頭を被告人のみの責任とすることはできず、原告決定はいずれも不当であるので、その取消を求める、というのである。

一件記録によれば、被告人は、(一)恐喝未遂被告事件(奈良地方裁判所昭和五九年(わ)第一九三号)及び(二)恐喝被告事件(同地方裁判所同年(わ)第三四五号)のそれぞれの事実につき勾留中のところ、(一)の勾留については原裁判所により、昭和五九年一二月二六日保証金額を三〇〇万円として保釈を許可されて、同日釈放され、また、(二)の勾留については、これが刑事訴訟法八条一項により原裁判所に併合される以前の昭和五八年五月三〇日上野簡易裁判所裁判官により、保証金額を一五〇万円として保釈を許可され、同年六月四日釈放されたものであるところ、昭和六〇年五月二二日午後一時四〇分と指定された併合審理中の右各被告事件の第八回公判期日に被告人は出頭しなかつたため、同年六月五日奈良地方検察庁検察官から原裁判所に対し、右不出頭は正当な理由によるものではないことを理由として右各保釈の取消請求があり、同日原裁判所は、いずれも「被告人において、その指定条件に違反(刑事訴訟法九六条一項一号)した」との理由で、右各保釈許可決定を取消し、各保釈保証金中、(一)については一〇〇万円、(二)については五〇万円をそれぞれ没取する旨の各決定をしたことが明らかである。

そこで原各決定がその理由とする被告人の不出頭についての正当な理由の存否について検討するに、一件記録並びに当裁判所において取調べた証人田中寛、同吉田誠及び被告人の各供述によれば、

一  被告人は、右公判期日である昭和六〇年五月二二日の数日前ころ、被告人の所属する山秀組の本部長橋本武享から三重県上野警察署が、被告人に対する別件の逮捕監禁致傷被疑事件で逮捕状を得て、被告人の所在を探していると聞き、同月二〇日ころ弁護人と相談した結果、右公判期日の午前中に同署に出頭することとし、同日午後の公判は、右警察署の警察官に依頼すれば当然出頭方手配してくれるものと考え、右公判期日当日午前九時半ころ、内妻坂本京子の運転する普通乗用自動車に同乗して大阪市平野区の自宅を出発し、途中荒川和郎方に立ち寄つて同人夫婦を同乗させたうえ、三重県上野市へ向つたが、その途中、車のブレーキの調子が悪かつたので、高速道路を降りて名張市内の自動車修理場に立ち寄つて部品を取り替えて修理してもらい、更に同市内の自己の勤務先の社長宅に立ち寄つて電話を借り、同日午前一一時半ころ、上野警察署に、これから同署に出頭するが、午後の公判には出席させて欲しい旨電話したところ、電話に出た同署の吉田誠巡査部長から、とにかく、同署に出頭するよう指示されたため、被告人は前記自動車に同乗して同日午後零時三〇分ころ同署に出頭したこと。

二  一方、上野警察署では、当日の被告人に対する頭書被告事件の公判期日終了後、被告人に対する別件の逮捕状を執行する予定で、あらかじめ、同日午前中から同署の田中寛警部補、今村孝司巡査部長、外一名が、右逮捕状を持参して、午前一一時半ころ奈良地方検察庁に着き、黒越副検事に挨拶をしたのち、昼食に出、その際、午後零時二〇分ころ田中警部補が上野警察署の吉田巡査部長に電話をかけ、同巡査部長から被告人が同署に出頭する旨電話があつた旨の報告を受けたので、田中警部補らは同検察庁控室において待期していた。

三  前記のとおり被告人が上野警察署に出頭して来たので、吉田巡査部長は、同日午後零時四〇分ころ、右検察庁に電話をかけ、同四五分ころ電話口に出た田中警部補に対し、被告人が上野警察署へ出頭して来たこと及び被告人は公判への出頭を要望している旨の報告をしたのに対し、田中警部補としては、逮捕状を持参して来ていることでもあり、当日同署では被告人を原裁判所に同行する人も車も余裕がなく、また、時間的にも上野警察署から原裁判所へは通常、車で一時間ないし一時間半を要し、同日午後一時四〇分の開廷時刻までに被告人を原裁判所に同行することは困難であると考え、吉田巡査部長に対し、逮捕せずに連れてくるわけにはいかないし、時間的にも間に合わない、今から帰署するから被告人を待たせておくように指示し、同警部補は午後零時五〇分ころ本件公判立会検察官をその部屋に訪ねて右の次第を伝えてその了承を得たうえ、被告人は引き続き同署に留め置くよう指示し、今村巡査部長らとともに直ちに同署に引き返し、同日午後一時四五分、同署に帰つた右警察官において、被告人を前記逮捕状により逮捕したこと。

四  被告人は、上野警察署に出頭後、警察の方で自分を開廷時刻に間に合うよう奈良の裁判所まで連れて行つてくれるものと思い込んでいたので、吉田巡査部長が奈良の検察庁に電話をかける前か、電話をかけている間に、内妻らに対し、先に奈良の裁判所へ行くように話し、同女らは同女運転の車で奈良に向い、被告人の事件の開廷時刻に間に合い、傍聴したこと。

以上の事実が認められる。

右の事実によれば、被告人は、公判開廷時刻の約二時間一〇分前に突然上野警察署に電話でこれから出頭する旨連絡し、その約一時間一〇分後に同署に出頭したものであるところ、逮捕手続には事情聴取をされるなどある程度時間がかかり、また、警察の方では被告人が電話し、出頭した時刻ごろには既に予定された勤務があつて、被告人の事件の担当者が不在である場合も考えられ、しかも車で約一時間位もかかる奈良地方裁判所まで、公判開廷時刻に間に合うように被告人を送り届けるための人や車の都合がつかないことも十分予想されるのであるから、前記のように公判開廷時刻が差し迫つて警察署に出頭し、しかも公判期日への出頭の協力を要望することは、自己の便宜のみを考える身勝手な要望であり、そのために公判期日に出頭できなかつたことは、結局は被告人の責に帰すべき理由によるものといわなければならず、一応刑事訴訟法九六条一項一号所定の保釈取消事由に該当するものというべきである。

ところで、刑事訴訟法九六条一項各号所定の取消事由による保釈取消は、裁量処分と解されるところ、その裁量の当否について考えるに、前記認定の事実によれば、被告人の身勝手さは是認できないにしても、被告人としては、当初から公判期日に出頭することを前提として行動しており、右警察への出頭の時点においても公判期日出頭の意思は持つていたものの、右警察に出頭後は警察官の指示に従うほかなかつたところから、結局公判期日に出頭できなかつたものであること等のこの間の事情、並びに、一件記録によれば、被告人は、これまで、本件各保釈釈放後の本件期日以外の各公判期日(前記恐喝被告事件の原裁判所に併合前の津地方裁判所上野支部における被告人に関する第一第三、第五ないし第九公判期日及び原裁判所における第四回ないし第六回公判期日)にはすべて出頭してきたことが認められることを併せ考えると、本件の場合は、いまだ保釈を取消さなければならない程の事情は存在しないと解するのが相当であり、被告人の本件各保釈を取消した原決定はその裁量において相当でないというべきである。

してみると、本件につき各保釈許可決定を取り消し、保釈保証金の各一部を没取した原各決定はいずれも不当であつて取消しを免れず、本件各抗告は理由あることに帰する。

よつて、いずれも刑事訴訟法四二六条二項により原各決定を取消し、さらに検察官が昭和六〇年六月五日にした各保釈取消請求をいずれも却下することとし、主文のとおり決定する。

(尾鼻輝次 木村幸男 近藤道夫)

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